今から30年前は、皆さん何をしていましたか?
今から30年前、私は山形教会から神学校へ入学しました。
山形教会の信者さんは皆、まさか?!と驚きました。本当のことを言うと、この自分が一番驚いていました。
神学校に入るには、経緯(いきさつ)がありました。教会に通って来ているうちに、ブラザー(修道士)になりたいと思い、ある日、やっと勇気をもって主任司祭を訪ねました。そして「ブラザーになりたいのですが、どうしたらいいのでしょうか。」と言うと、彼は「今日はダメ〜、忙しいから来週来て〜」と言われました。
翌週の指定された日に訪ねていくと、応接間ではなく、食堂に通されました。すき焼きのいい匂いがしていて、その周りにはビールが並んでいました。そして、主任司祭だけではなく、他に5〜6人の神父様がおられました。
一緒に飲み食いしながら、ブラザーになりたいと話しました。すると、主任司祭が「無理〜なれないよ〜。」といわれたので、とてもショックでした。彼は、「ブラザーは大変だよ、人に見えないところでコツコツと働くんだよ、食事つくりや芝刈り、掃除や洗濯とか。本当に大変なんだから、無理。でも、神父だったらなれるかもしれない。神父になったら〜。」といいました。
そして、神父になることに決めました。
『愛』という大きな山にぶつかって…
神学校に入ってみると、全国からすごい人たちが来ていました。皆高学歴なうえ、聖書の勉強もよくしていました。私は教会に通っていはいたけど、聖書の勉強はしていませんでした。新約聖書の勉強が始まり、聖書を読むと、納得いかないことがありました。イエスの奇跡、聖母の処女懐胎など納得できないことばかりでした。
なかでも、『愛』が最も大変でした。「愛しなさい」と言われても、『愛』自体がわからないし、愛せるとは思えませんでした。自分の前に『愛』という大きな山があり、その山の麓で「私は愛せないですよ…」と言っている、そんな気持ちでした。苦しかったです。
そんな時、ある神父の聖書学という授業で宿題がありました。それは次の二つでした。
1.聖書を見て、イエスが具体的に人を愛されている箇所を見つけよ。 |
具体的な場面はたくさんあります。例えば、ペトロの姑を同情して癒した場面、ある所で一人息子を亡くして嘆いているやもめを見て、あわれみ、その一人息子をよみがえらせた場面など、その他もっとあります。たとえ話もいろいろあります。放蕩息子のたとえ話では「父親は深くあわれみ」と書かれています。
『はらわた する』
聖書学の神父様は、聖書の中には、イエスが『愛した』とは書かれていない。“同情して”“あわれんで”等々は、ギリシャ語原文では全部 “スプランクニゾマイ”という同じ言葉が使われています。
この“スプランクニゾマイ”はどうしても訳せない言葉らしいです。これは“はらわた”という意味で、これを動詞に変えると“はらわた して”となってしまいます。“はらわた する”では、日本語訳にならないので、“深く同情して”“あわれんで”“気の毒に思って”などと訳しています。
イエスの“はらわた”から愛が湧き上がってきて、そうせざる得なかったのです。これが“スプランクニゾマイ”です。
私たちが求めているのはそれです。私たちが持たねばならないのは、はらわたの底から湧き上がって来る愛です。日々の生活の中で、本当に悩み苦しんでいる人と出会います。その時、その人を愛さねばならないのではないです。
愛さずにはいられない、これが愛です。
『愛さねばならない』 から『愛さずにはいられない』へと変えられる
でも、愛さずにはいられない人になるのは、自分ができるものではありません。
世間では「キリスト教の人はいい人ですね。でも、どこか偽善っぽい。」というのを聞くことがあります。よく見てみると、「キリスト教信者だから、私はいい人でなければ。愛さなければ。」という思いがあります。
私たちが求めるのは、変わることです。しかし、一生懸命聖書を学んでも、自分の力で変わることはできません。カトリックは、自分の力で変わることを放棄しているといえるでしょう。そして、「神様、私を変えて下さい。」と祈り、願います。
教会の聖人は、“神から変えられた人”です。私たちも聖人になれるのです。神様に任せればよいのです。「神様、この弱い私を変えて下さい。」その時、神は応えてくださいます。
ご聖体のイエスが私のはらわたにまで入ってくださる
私たちは日曜毎に、教会に集って、ミサでご聖体をいただきます。これこそ、源泉です。イエスご自身が、ご聖体となって、私たちの “はらわた”に入ってくださるのです。イエスは、わたしたちを愛さずにはいられないから、ご聖体となって、私たちの “はらわた”にまで入ってくださいます。
今日、イエスが私の“はらわた”に入ってくだされば、私を変えてくださることに、「然り。然り。」「はい」と応える信仰が大切です。
変わっていくことができますように!
H23.2.10(文責 Y.T)