・テレジア飯島育子さん葬儀説教


 前の晩から降り続いた雪が、山形の街を真っ白に変えた1月31日の深夜、飯島育子さんは地上での96年の生涯を閉じ、天の国へと召されました。

 私が飯島さんと生前最後にお会いしたのは、亡くなられる前の日でした。入居されている「みこころの園」のナースステイションの隣の部屋に飯島さんは横たわっていました。意識はなく、弱々しい息づかいの中に、時々深い息の交わるチョッピリ痛々しい姿でした。

私は飯島さんの耳元に口を近づけ、大きな声で「飯島さん、本間神父ですよ。分かりますか。病者の塗油をしましょうね」と言うと、言葉にはなりませんでしたが、首を少し縦に振り、「うぅー」という声で答えてくれました。
額に油で十字をしるした後、手を握ると、弱い力ではありましたが、握り返してくれました。その時、飯島さんの目から一筋の涙が流れ落ちたのです。あの涙は私への最後のお別れだったのでしょうか。それとも家族や友人たちへの感謝のメッセージだったのでしょうか。

 飯島さんを一言で言えば、どんな言葉で表すことができるでしょう。「祈りの人」「ミサが命の人」「ほほえみの人」「穏やかな人」・・・私ははっきりと言えます。飯島さんは、まぎれもなく「神を愛した人」であり「神から愛された人」でした。

人には死という最後があります。草や木、空の鳥や野の生き物、自然界に生きるすべての物に終りがあるように、人にも死という最後があります。その死という最後を、私たちは毎日の忙しさ、あわただしさ、わずらわしさに、思い浮かべることも稀にしかありません。
しかし、私たちが、日常生活の忙しさ、あわただしさ、わずらわしさに、いくら束の間忘れ去っていようとも、死は私たち一人ひとりに確かな足音をもって、そして誰一人例外なく忍び寄って来るのです。

 死とは何でしょうか。人の死とはいったい何でしょうか。肉体と霊魂の破滅でしょうか。生きていた人間が無へと帰っていくことでしょうか。それとも、ただ謎なのでしょうか。

 死を体験したことのない私たちは、経験から死を語ることは出来ません。しかし、キリストを信じる私たちは、キリストの言葉から死の神秘を解き明かす術を知っています。

 キリストによれば、死は復活する日までの仮の住まいの場なのです。人は皆、新しい命へと復活するために、死という暗く、悲しい闇を通らなければならないのです。

 生きている私たちは、親しい者の死を体験する時、そのあまりに辛く、悲しい闇の深さに、身を焼かれる程の苦しみを味わわなければなりません。親しい者との別れほど私たち人間にとって悲しいことはないからです。

 別れは誰にとっても辛く、別れは誰にとっても悲しい出来事です。しかし、キリストを信じる者の死は、何も見えぬ真っ暗な中の悲しみではありません。死の彼方に、悲しみの彼方に一筋の光の見える悲しみです。

 その光とは、復活という光。キリストが約束して下さった復活という光。私たちは、死という暗闇を前にした時でも、その一筋の光から目をそらしてはいけないのです。

 今、飯島さんは、私たちが遥か彼方に小さく見えている光、その光を体いっぱいに浴びて、暖かな神の恵み、永遠の憩いの中で、やすらかに生きているに違いないのです。

 たくさんの方に慕われ、愛された飯島さん。その飯島さんが亡くなられてまだ3日。家族の方、生前親しかった方、皆さんの悲しみの涙が、まだ乾いていようはずもありません。

 しかしこの場は、ただ悲しみの場ではありません。もう一度悲しみを呼び起こす場ではありません。

何よりもこの場は、残されたご家族が、皆さん一人ひとりが、自分の人生を精一杯生きることを誓う場なのです。なぜならば、そのことだけが天の国へ召された飯島さんに対し、私たちが送ることのできる、ただ一つの捧げものだからです。

 神を信じ、その生涯を誠実に生きた飯島さん。その飯島さんに今イエスはこう言っているに違いありません。

「飯島育子、来たれ我がもとへ。休ませてあげよう、お前は最後まで私の十字架を担ったのだから。