・マザー・テレサの修道院を訪ねて


昨年の暮れにインドに行く機会があり、その時コルカタ(カルカッタ)にあるマザー・テレサが創立した修道院「神の愛の宣教者会」へ立ち寄ることができた。

 そこでは、白に水色のラインが入った修道服を着たシスターたちが大勢せわしなく働いていた。
路上に生き倒れになった人たちを助け上げ、死を迎えるまでの最後の時間を人間らしく過ごせるようにと作られた「死を持つ人の家」。

親から捨てられ、住む所のない人達や障害者たちのための孤児院や障害者施設。インドの中でもっとも貧しい人々のために生きているシスターたちの仕事は多岐にわたる。

 そんなシスターたちの活動に世界中からたくさんのボランティアが集まって来る。私が行った時も日本人のボランティアだけでも30人位はいただろうか。20代から30代の青年たち、皆汗びっしょりで、顔は日焼けをして黒い。
そして誰の目もきらきらと輝いている。

 一人のシスターが笑顔で話をしてくれた。
「日本から来てくれる青年たちは皆、きれいな身なりで来ています。女の子は長い髪に化粧をして、つめにマニキュアを塗り、男の子もネックレスや指輪をしている人もいます。私たちは、そのことについて何も言いません。でも、ボランティアに来てから1週間もすると、爪を切り、化粧を落とし、長い髪を後ろに束ね、ネックレスも指輪も外して、顔もTシャツも汗まみれになって働いてくれるんですよ」と。

 そんな青年たちと短い期間ではあったが話すことができた。1人の青年の言った言葉を思い出す。
「神父さん、日本には楽しいことがいくらでもありました。ゲーム、合コン、お酒にカラオケ。寂しくなると携帯一つで友達を誘うことができた。でもそんな生活で満たされていない自分がいたんです。楽しいけれど、これって喜びじゃないなって気づいたんです。ここでの仕事は、最初戸惑いました。運ばれてくる人は、弱ってるし、汚いし、臭いし、逃げ出したくなりましたよ。でも自分で決めて来たんだから、一週間頑張ってみようと思ったんです。
思ったとおり、毎日の仕事はキツイし、気も抜けないし、クタクタになるけど、後で喜びがジワーッと沸いてくるんです。楽しいことと喜びは違うんですね」。

 “楽しいことと、喜びは違う”当たり前のことですが、もしかして日本に生きている私たちが、忘れてしまっていることの一つかもしれません。

 そう言えば、生前マザー・テレサが来日した時の講演で次にような話をされたのを思い出します。
「コルカタ(カルカッタ)の貧民街に行った時、貧しさの余り3日間何も食べられずにいた母親の家を訪ね、少しのパンを差し上げました。女性はそのパンを持って、すぐに外へ出て行きました。しばらくすると帰って来たのですが、持っていたパンは半分になっていました。不思議に思い、パンの半分はどうしたのと聞くと、その女性は微笑みながら、隣の家族にあげて来ました。彼らも私たちと同じほど飢えているのですから。と答えたのです」。
そして、その微笑みはとても美しいものでした。とマザー・テレサはご自分の感想を述べられました。

 誰かのために自分を犠牲にし生きようとした時、人は本当の喜びを知り、美しく微笑むことができるのかもしれません。

 使えば使うほど増える物は何?
これは教会学校に来ている小学生に私が出した質問です。
子どもたちはキョトンとした顔をして、しばらく考えていましたが、一人の女の子が手を挙げて「優しい心」と答えました。また手が挙がり、次の子は「愛」と答えました。

 私たち大人が持っているものほとんどは、使えば使うほど減っていくものばかりです。お金も財産も資源も命も・・・・
でも使えば使うほど、いや使わなければ増えていかないものがあります。
それは「思いやりの心」や「やさしい心」「ゆるし」そして「愛」です。

 「愛」は使えば使うほど増えていきます。使わなければ無くなってしまいます。
そして「愛」を誰かのために使うとき、豊かな喜びを知ることができ、心は真の喜びに満たされていくのではないでしょうか。