三位一体の主日(A年) *ヨハネ3・16-18 (2011.6.19)

人の思いでつくった“神の国”は…

 宮崎県延岡市の近くに、“むじか”という名の町があります。小さい、あまり知られていない町です。漢字で“無鹿”と書きます。
この町は、戦国時代、禁教令の前に、大友宗麟がつくった町です。大友宗麟はキリシタン大名で、自分の領地に教会やコレジオと呼ばれた神学校をつくりました。

ある時、大友宗麟がコレジオに行ったら、小神学生がバイオリンのような楽器を弾いてラテン語の歌を歌いました。

初めてラテン語の歌を聞いた宗麟は、その美しさに感動しました。その後、家督を子供に譲った宗麟は、神の国をつくろうと思いました。
その神の国には、自分の目に適った信心深い人々を集めて住まわせて、素晴らしい国にしようと考えたのです。
そして、宗麟が町の名をつける時、コレジオで聞いた、あの音楽のようなきれいな清らかな町にしようと思い、“無鹿”とつけました。“むじか”は音楽と言う意味です。しかし、その“無鹿”は、島津が攻めて来て、アッという間に消え去りました。

 大友宗麟の間違いは二つありました。一つは、自分の手で、人間の手だけで神の国をつくろうと思ったことです。もう一つの間違いは、そんな“神の国”をつくるのは、神の望みではなかったことです。信仰深い、いい人だけで、平和で気よく、何の苦しみもない国をこの地上に作るのが、神の望まれたことではなかったのです。


三位一体の神の思いは…

 父がイエスを遣わされた世界は、まさに裏切り、苦しみ、悲しみ、争いの世界の中でした。

 神は、私たちに聖霊を送ると約束されました。それは何のためでしょうか?争いや苦しみ、悲しみのない世界をつくるためでしょうか?

 そうではないと思います。イエスが遣わされた時のように、どんなことがあっても生きていける力が湧いてくるように、また、どんなに悪いことがあってもそれに(くみ)しないで生きていけるために、聖霊が送られているのです。

 聖霊は、まず、教会に送られています。そして、一人ひとりに送られています。誰でも、表に出してはいなくても、苦しみや悲しみを抱えています。聖霊は、一人ひとりが抱えている苦しみに負けない力を、私たちに与えてくれるのではないでしょうか。

 また同時に、私たちの内におられるイエスも、私たちを、まさに内から励まし力づけています。

 今日、三位一体の主日を祝っています。父と子と聖霊なる神が、私たちを励まして下さるように、心の中で祈ってください。




「悪いものに負けずに、力強く生きられるように、

あなたの力をお与えください。」

(文責 Y.T.)