主の降誕(夜半のミサ)
(A年)ルカ2:1〜14 

クリスマス おめでとうございます!


暗闇に輝く光を頼りに
      ークリスマスのスタート

 舟形に新庄教会ができて2ヶ月経ちました。
日本人信徒は二人だけで、他は皆フィリピン人です。全員で100人以上おられます。24〜25年前に最初のフィリピン人花嫁が新庄に来たので、もうその子ども達は社会人になっています。彼女たちが新庄に来てからずっと24〜25年間、教会はありませんでした。

その間、店の2階やホテルの一室、集会所などを借りて、転々としながら、ミサをしてきました。
この10月に念願かなって、自分たちの教会ができました。そして、今年は自分たちの教会での初めてのクリスマスです。新庄教会でも、ここ山形教会のように立派ではないけど、一生懸命馬小屋を準備していました。

 一人のフィリピン人が私にこう言いました。

「この博士たちは私と同じです。私は20何年か前に日本に来る時、とても不安でした。全く知らない国で、言葉もわからない、文化も生活も違う、食べ物も何から何まで違う国に来るのはとても不安でした。真っ暗な暗闇を一人で手探りで歩くような不安の中で、日本に来ることを決めました。その時、たった一つの小さい光は、神様でした。小さい光、神様だけを頼りに、日本に来ました。3人の博士たちは私たちに似ています。」

 博士たちは、たった一つの小さい星の知らせを頼りに、自分をかけて旅に出ました。その旅はつらくて大変だったでしょう。何日もかかっただろうし、砂漠もあっただろうし、先がわからず不安になることもあり、楽ではなかったでしょう。フィリピン人が日本に来た時は、博士たちと同じだったと思います。でも、これがクリスマスのスタートではないでしょうか。博士たちは、信じがたいことを信じて、旅に出ました。

 マリアも同じだったでしょう。神の子を身ごもるという神のお告げを受けた時、信じがたいことだし、マリアにとって決してうれしいことではなかったと思います。でも、マリアは、信じがたいことを信じて旅に出ました。

 ヨセフも同じです。マリアが神の子をみごもっていると、夢のお告げを受け、信じがたいことを信じて、旅に出ました。


「ダメだ」お断りしているのは わたし

 マリアとヨセフは旅に出ました。ユダヤのベツレヘムへと旅をし、ベツレヘムで子どもが生まれそうになり、宿屋を探しました。一軒一軒宿屋を訪ね、「私たちを泊めて下さい」「私たちを泊めて下さい」と頼みましたが、どの宿屋も「ダメだ」と断りました。客がいっぱいで泊まる所がなかったからではないでしょう。二人の貧しい姿を見て、この二人を泊めてもお金にならないと思ったのかもしれません。

 クリスマスの物語は、よく考えてみると、二千年前のことだけではありません。今の私たちのことです。マリアとヨセフを断った宿屋の主人は、まさに私であり、あなたであるからです。「わたしを泊めて下さい。」その声を聞いて断るのは、私です。私はしなければならないことがある、もっと楽しむんだ、自分のやりたいことがあると言って、断ります。私たちは、マリア、ヨセフ、三人の博士達とはちがいます。私たちは、手で触れる、この目で見えるものを求めています。


「わたしは、あなたの心で生まれたい。」

 致し方なく、マリアとヨセフは馬小屋に行きました。そして、その馬小屋でイエスが生まれました。馬小屋は決して良い環境ではないです。ジメジメしていて、冷たく、暗く、寒いところです。実は、この馬小屋は私たちの心ではないでしょうか。冷たく、固く、暗い、愛せない、赦せない、自分中心の寒々とした心…わたしたちの心にはあります。でも、イエスはそういう場所を選んでくださったのです。「あなたの、その心で生まれたい」と。

冷たい、暗い心は、イエスが来てくれた時に、明るく温かくなります。今日、イエスは私たちの心を求めています。私たちの心をたたいています。

   あなたの心で、私は生まれたい。

H22.12(文責 Y.T)