新しくなった聖堂で
皆さん、聖堂改修が完了し、今日が使い始めです。復活のイエス様が「お帰りなさい」と言ってくださっています。
10月28日には新庄教会献堂式があり、250名以上の方が立派な聖堂に集ってお祝いしました。神様と皆の協力、そして皆の祈りのおかげです。教会を建てる過程で、不思議なことが次々に起こり、新庄に奇跡が起きました。時が解決するーこれも恵み
新庄は、私が教会建設に関わった二つ目の教会です。一つ目は茨城県の那珂教会でした。私が勝田教会に赴任するより以前に、そこは床上浸水になり建て替えが必要な状態でした。その際、近くの東海教会と統合して一つの教会にしようということになりました。二つの教会は、近くとは言え、地域性や雰囲気が異なり、統合するには双方共に大変でしたが、合意に至りました。
那珂教会ができました。でも、双方の信者は交わることなく、那珂教会をつくったことは失敗だったかと落ち込みました。主日のミサには来るがすぐ帰ってしまうし、平日にはミサに来ません。本当に落ち込みました。司祭としても、自分はダメかなとまで思いました。
そんな時、神戸から転勤で、熱心な信者が単身赴任して来ました。そして、朝、平日ミサをすることになりました。そのうち、つい「一緒に朝ごはんを食べて行きませんか」と声をかけたら、喜んでくださり、ミサ後、朝ごはんを作って一緒に食べていただくという生活を1年間続けました。1年過ぎて、転勤になり、彼はいなくなりました。ふと気が付くと、私の中に変化がありました。落ち込んだ気持ちはなくなっていて、もう一回この教会でがんばろうという気持ちが湧いてきていました。
時間が解決するとはこういうことなんでしょうね。いつとはなしに、信者同士が交わり始めていて、ミサ後に誰からとはなくお茶を飲んで話しているという雰囲気になってきました。
隠された真実・幸せ
私の母親はアルバムを見るのが好きでした。写真を見ながら、「あの頃は苦しかった、でもよかったねぇ。」としばしば行っていました。私が子どものころ、父は教員でしたが、結核になり退職し、母が内職をして家計を支えました。当時はわからなかったけど、今振返ると、ずいぶん大変だっただろうな、母の苦しさや父の辛い思いがわかります。それにもかかわらず、母の「よかったねぇ」はこういうことを言いたかったのでしょう。「苦しさ、辛さがあった、でも、それがあったからよかった、それがあってこそ今があるんだから」と、言いたかったのでしょう。
その時には隠されている幸せがあるように思います。後で判ることです。一人ひとりそういう体験があるでしょう。「あの辛さがあったからこそ、今があるんだね。」ということが。隠された真実・幸せは、後で時が来ればわかります。
神は生きている者の神、私たちは協力者
新庄教会ができました。20数年間、公民館やホテルや店の一室を借りて、ミサをしたいました。教会は人の交わりだよ、建物ではないと、よく言われます。その通りですが、それは建物があるから言えることです。実際に、あちこちを借りて、ミサのために集るのがどんなに大変で辛いことか、見て知っています。新庄教会の人たちは祈り続けました。そして、とても無理と思っていたのに、あんな素晴らしい教会があれよあれよと言う間にできました。これは、神の御業であり、何よりもまず神の思いがあったからです。しばしば私たちは神の思いに逆らい、神の邪魔をしてしまいます。神の思いに力を貸す者になると、もっともっと信徒の交わりも祈りも深くなるのでしょう。
神は、まさしく、生きている者の神であり、私たちが神に協力する時に、いらしてくださるのではないでしょうか。
H22.11.7(文責 Y.T)