年間第12主日(C年)ルカ9・18-24

 静岡県の御殿場に神山復生病院があります。以前はハンセン氏病の病院でした。

クリストロア会の病院で、神学生は春と秋に一泊二日、復生園で、劇やソフトボールをして、交流会をしていました。最初は大変でした。ハンセン氏病の方とは初めて接するので、怖くて触れられないのです。相手に触れても、恐るおそる、いやいやという気持ちは伝わってしまいます。

井深 八重さんと神山復生病院

 復生病院には有名な婦長がいました、名誉婦長でそのころ80代でした。井深八重さんという婦長で、彼女を題材にした遠藤周作の“わたしが・棄てた・女”という小説や、“愛する”という映画が作られています。
井深八重は同志社女学校専門科を卒業し、希望に燃えて女学校の英語の先生として働いていました。教師になって1年後に、腫れ物ができて医師に診てもらったら、ハンセン氏病と診断されて、神山復生病院に行って、3年間病人として暮らしました。
3年経って25歳の時、医師が再度診察したところ、ハンセン氏病ではなかったこと、つまり3年前のは誤診だったことがわかりました。しかし、そうかといって、ハンセン氏病が恐れられ、差別されていた当時の状況では、復職することも家族のもとに帰ることもできませんでした。
そこで、病院長の宣教師ドルワール・ド・レゼー神父が自分の母国フランスのパリで井深八重さんが新しい人生を過ごせるようにと、手続きをし、準備万端整えました。彼女は喜んで、希望を持って、フランスに行くつもりになりました。
そして、当日、乗るべき汽車が来ました。



十字架を選ぶ

 しかし、八重さんは汽車に乗らず、踵を返して、自分が3年間ハンセン氏病患者として暮らした神山復生病院へと戻って行ったのです。そして、「私はここに残ります。看護婦として、ここの人たちの世話をするために残ります。」と決意し、看護婦の勉強をし、看護婦の試験を受け、神山復生病院でハンセン氏病の人の友となって、生涯を送りました。
私なら、躊躇なくフランスに行っただろうと思います。多くの人も、八重さんにフランスに行った方が幸せになれると忠告したことでしょう。当然ですね。こちらに行けば、素晴らしいパリの生活が待っている。こちらに行けば、3年間過ごした地獄のようなひどい苦しい生活。
井深八重さんは十字架の道を選んだのです。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』八重さんは自分の十字架を背負うことを選びました。それは、まさにキリストの十字架と一つになっていました。


イエスのささやきが

 自分の今までを振り返ってみると、どれだけ自分の十字架を避けてきたことか、どれだけ自分の十字架を投げ捨ててきたことかと気づきます。これからも、自分の十字架を避け、投げ捨てるに違いないでしょう。でも、そんな私に、イエスは「自分の十字架を背負って、生きなさい。そうすれば、その先に本当の光があるんだよ」と囁いているのです。

 神の子イエスは十字架を背負ってゴルゴタに行きました。そして、イエスほど人からバカにされ、嘲られ、ののしられ、つば掛けられた人はいないでしょう。
神は十字架を捨てることを望んでおられません。背負って生きることこそを望んでおられます。十字架を背負うのは、確かに苦しく、人からは愚かに見えるでしょう。でも、愚かさの中に愛があります。愛の中には愚かさがあります。人が何と言おうと、何と解釈しようとも、イエスのように笑われましょう。つばを掛けられましょう。

イエスは今日も囁いています。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

H22.6.25(文責 Y.T.)