三位一体の主日(C年)
*ヨハネ 16・12−15
*箴言 8・22−31
*ローマ 5・1−5

 美しい人-祈りは美しい

 いつも朝のミサ前に犬の散歩をしています。
つい先日の朝、60代くらいの男性が挨拶して通り過ぎました。
その男性はビニール袋とピンセットを持って、ゴミ拾いしていました。

 美しいなと思いました。
美しいなと思ったのは、その人が見られることや人に気づかれることを目的としていないからなのです。
祈りも同じです。人に見られたり、気づかれることが目的ではありませんね。

「あなたは祈られている人ですね」

 ある時、切実な願い事があり、神様に一生懸命祈りました。
どうぞ、願いをかなえて!こうなって!と祈ったけど、祈ったようにはなりませんでした。それで、その後しばらくは祈らなくなっていました。
祈りは案外重労働なんです。毎朝、同じ時間に座って祈るのですから。

 その頃、ある教会の黙想指導を頼まれました。
あまり祈って準備をしないまま黙想会に行ってしまいました。その教会の70代の女性が「ありがとうございます。あなたは祈られている人ですね。」と私に言われました。私は「いや、そんなこと ないです。」と答えました。
その後、あの女性は「あなたは いろんな人に祈ってもらっている人ですね。」といわれたことに気が付きました。

 神学校の7年目に、助祭叙階を前にして、神学院院長に呼ばれました。
部屋に入ると、机に写真を3枚おきました。
一人は司祭、一人は年配女性、一人は男性でした。3人とも全く見知らぬ外国人でした。
院長から「この3人はおまえの恩人だ。ずっとおまえのために祈ってくれ、経済的援助もしてくれていたのだ」と、初めて告げられました。ドイツのケルン教区の方々でした。決して豊かな方ではないのに、私のために祈りと犠牲を捧げてくれていたのです。
本当に、全く知らないところで祈られていた、祈りの力はすごい!!

 皆さんも祈られています。だからこそ、ここにいるのです。私は自分のために誰からも祈られていないという人がいたとしても、間違いなく神はあなたのために祈っておられます。


聖霊は祈りそのもの

 『三位一体』の『父』と『子』はわかるけど、『聖霊』はどうもわかりにくいという声を時々聞きます。
聖霊は祈りそのものだから気づかれないのです。宣言もしません。神は、気づかれないように、見られないように、私たち一人ひとりのために祈っておられます。だから、美しいのです。

 神の祈りに気づくこと、即ち聖霊の祈りに気づくことが三位一体の主日を祝う意味ではないでしょうか。
そして、祈られている私たちが、誰かのために気付かれまいと気付かれようと祈ることができますように。

H22.5.30(文責 Y.T.)