福島県田村郡三春町に樹齢1000年を越えるというベニシダレザクラがあります。その名は「三春滝桜」。まさに、淡いピンク色の花々が大きな滝のように上から裕大に流れ落ちるかのようです。国の天然記念物に指定され、全国から多くの観光客が訪れ、大型バスが何台も連なる時もありま
す。わたしも好きで、何度も愛でに行きました。それは素晴しい桜で、何とも言えないオーラを感じたものです。
 この滝桜の他の季節の姿も見たいと思い、夏と秋に訪れたことがあります。
 あの花見のシーズンの喧噪がうそのように静まりかえり、平和でのどかな里山に、悠々と、その大木は鎮座し、たたずんでいました。そして、これが本当の姿なのだ、と思ったものです。清らかなオーラも感じました。
 桜が花を咲かせるのは一年のうちせいぜい1週間から10日ほど。そのときだけ、人は訪れます。しかし、あとの350日ほどは、誰もわざわざ見には訪れません。花見だけを好んでいれば、その桜の木の本当の姿を見ることはありません。逆に、誰も目を向けない時こそ、桜は桜として一生懸命生きているのです。
 わたしたちの人生も同じだと思います。入学や卒業、結婚や出産などのさまざまな節目であるハレの時には注目され多くの祝福を受けます。しかし、それは人生の本当に一瞬のこと。毎日毎日の生活の苦労は、誰も見てくれません。しかし、桜が桜であるのは日々自分を生きるからこそ。わたしがわたしであるのも、日々の生き方そのもの故です。しかし、神さまは、誰も見てはくれないわたしたちの毎日の姿を、しっかりと見ていてくださっています。なんという喜びでしょう。なんという安心感でしょう。この恵みを、桜の花を見るたびに思い起こしたいと思います。

                             主任司祭 千原通明

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桜の一年
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