待降節を迎え、教会は新しい典礼年に入りました。
待降節は「待つ」ことがテーマですが、科学技術の発達した現代社会にあっては「待つ」ことがとても難しくなってしまいました。たとえば、欲しいものがあればネット通販で翌日届いてしまいます。人を待つことも、ケイタイやスマホのおかげで無駄な時間を過ごさなくてよくなりました。手紙も電子メールに取って代わり、写真もデジタルで瞬時に見られます。以前は、大切な人ほど長く待ち、手紙が来るのも首を長くしながら待ったものです。写真にしても、現像に出してから写真を見るのは何日か後のことでした。その「待つ」事の中には、心配したり、祈ったり、ワクワクしたり、豊かな心の動きがありました。それが、現代は味わうことができなくなってしまったのです。
教会はイエス様の再臨を2000年近くもの間待ち続けています。いちばん大切な方が来られるのを「待つ」訳ですから、待ち方が大切です。それは、心の目を開けて、祈り、日々喜びをもって、愛の業に励みながら待つことです。
「待つ」ことの大切さと豊かさを味わいながら、この待降節を過ごしたいものです。
主任司祭 千原通明