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生かされている私の生命の基盤は、自覚するとしないとにかかわらず、この天地いっぱいという基盤であり、同時にそれはすべての存在の基盤でもある。これを「自己」と呼び、あるいは「仏」と呼ぶ。この「自己」を求め、「自己」と出会い、「自己」と一つになってゆく、それが人生修行の究極の姿なのであろう。
(青山俊董「『もう一人の私』にめざめる」 朝日新聞1998年8月25日)
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わたしはこれを読んで、宗教者としても、一人の人間としても、自分の霊的旅路の指針をいただいたと思っています。カトリックでも、トラピストのトーマス・マートン神父が、「私たちにとって聖人になることは、私自身になることだ」と書いています。
「自己という本当の私は、「神が望まれる私であると言うこともできます。その自己を極めるのが、霊的旅路の最大の課題なのです。これは、決して自己中心になることを意味しません。むしろ、神との出会いへと開かれていくのです。この生涯にわたる歩みを、いつくしみの聖霊が導いてくださいますように、祈りたいと思います。
山形県宗教者懇話会の20周年の記念式典と特別講演会が6月4日、山形市民会館で開かれました。
今回の特別講演会には、曹洞宗の青山俊董(しゅんどう)師が講師としてこられました。彼女は名古屋にある愛知専門尼僧堂堂長で、長野県塩尻市の無量寺の住職も兼務され、曹洞宗の大教師でもいらっしゃいます。現在83歳。
彼女のことは、1998年頃に朝日新聞で連載された「自分と出会う」のリレーエッセイで読んで知っていました。その中で、彼女は「もう一人の私」との対話について書いておられ、その「私」を成長させていくことの重要性を説いていらっしゃいます。